きっかけの街 モントリオール

モントリオール製菓学校公式ブログ。 モントリオールのこと、お菓子のこと、北米の日々を綴ります。

パン2
外食の楽しみのひとつ、パンのプレゼンテーション。

日本では、ご飯ものは締めに出されるのがお決まりですが、フレンチを始め欧米料理は、最初にパンが出てきます。フレンチならバゲット、シリア料理ならピタ、ポルトガル料理なら軽めのポルトガルパン、といった具合に、その国の料理に合ったものが出てきます。たかがパンですが、大切な食事のプロローグ、その後の料理への期待を膨らませる役割を担っており、されどパン、なのだと思います。

モントリオールには、レストラン向けのこだわりバゲット卸専門店があるほど、重要なポジションを占めるパン。どのレストランでも美味しくて、メインの前についつい食べ過ぎてしまいます。

上下の写真は、『ピエ・ド・コション』という大人気の肉料理店と『リッツカールトンホテル』内レストランで提供されたパン。どちらもお店のコンセプトに合ったプレゼンテーションで、趣は違えど素敵です。パンはどちらも美味ですが、それ以上にプレゼンが印象的。何気なく料理を引き立てる名脇役の演出方法は両店舗ともさすがです。

パンの出し方1
話は少し逸れますが、パン(pain)はフランス語と知ったのは中学生の時、英語だと思っていた私には衝撃でした。英語ではブレッド(bread)と言います。
「パン」という単語を、日本でそのまま通じるフランス語として認識していましたが、ある時、日本のビストロで、パンをお代わりしようとした旦那。口から出た言葉は、「デュ・パン」(du pains)。
何度繰り返しても理解できないホール係に苛立ち始めた彼、そりゃ私だって解りません。こういう時にも冠詞をつけるものなのか、と心でメモを取りながら、郷に入りては郷に従っていただきたい、とやんわり諭(さと)しておきました。

When in Rome, do as the Romans do.

こんなとき、受験で丸暗記した英語の諺が役立つとは。何でも勉強しておくものですね。


モントリオールで肉料理ならここ。予約必須です。
Au Pied de Cochon

リッツカールトン内のレストラン。ランチがおすすめ。
MAISON BOULD


服1
服2
こんな服を、子どもの頃に着てみたかった。。

モントリオールは、おしゃれに敏感な街。子供服もカラフルです。特に女の子用はキュートなものがいっぱいで、見ているだけで嬉しくなります。

写真は、日本にいる友人の娘ちゃん用にセレクトした品々。おしゃれに敏感な彼女から拝命を受け、責任重大です。翌年には成長して着られなくなってしまう子供服ですが、やはり小さい頃から可愛いものを着るのは、幼いながらもワクワク感とおしゃれ心を育むような気がします。

私の子どもの頃の服装は、ザ・昭和。母や祖母の手作りか、となり町に働きに出ていた祖母が買ってきてくれた、紺や白や赤のユニフォームのような服、もしくは、からし色などの渋い服でした。

「ピンクを着たい。」

子どもの頃の憧れは「旬」を過ぎ、いつしか紺や黒や白を選ぶ大人になっていました。

こんな服を、子どもの頃に着ておきたかった。。
子供服



 

girl1
大学を卒業して24年目に入りました。
自分のキャリアを振り返ると、「4年周期」で変化が起こっているような気がします。

一般企業に就職して4年で退社、そこから4年で起業、8年でカナダへ。

もともと飽きっぽいので4年位で変化が欲しくなるのか、それとも、4年というのがキャリアの節目に適しているのか。知事、市長、アメリカ大統領など首長や議員の任期も4年ということから考えても、4年というのは、何かを成し遂げるのに必要な、ちょうど良い期間なのかも知れません。

オリンピックも、4年に一度ですし。

そういえば、キャリアの語源は、ラテン語で轍(わだち)を意味するキャリエール。自分に当てはめると、馬車や車で飛ばしてきたイメージはなく、一歩づつ進んできたことを考えると、「足跡」と捉える方がしっくりきます。

今日も足跡を残していると思えば、そこに一生懸命になることが、キャリアアップそのもの。その途中で起こる変化を楽しみながら、進んでいきたいと思っています。

 今日もデイリーアクション

 

モントリオールはサンドウィッチ天国。
sand olive&gourmando

「オリーブ&グルマンド」のチキンベジサンド。

sand banh mi
「バンミー」のベトナムサンド。

sand le pick up
「ピックアップ」のプルドポークサンド。

sand hotdog
「モントリオール・プール・ルーム」のホットドッグ。

そして、モントリオールといえば、やっぱりこれ!
schwaltz
「シュワルツ」のスモークミート。
 

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ハッと目をひくアート作品。

ここは、モントリオールのメトロ(地下鉄)構内です。
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モントリオールにメトロができた時からあるピール(Peel)という駅。これらの作品は、1966年、モントリオールのアーティスト、ジャン・ポール・ムソー(Jean-Paul Mousseau)氏によってメトロの誕生にあわせて創られたもの、1966年のことです。

この駅だけではありません。モントリオールのメトロは、駅ごとに手がけたアーティストがいて、そのコンセプトで統一されています。駅そのものが作品。慣れてくると、駅名を確認しなくても、内装を見ただけで、どの駅かわかるようになります。

丸いアートならピール駅。足元のタイルも、しっかり丸です。
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biscotti
ビスコッティというと、二度焼きの硬い生地の中にナッツが少し入っているのが一般的。ラテに浸して食べているのを見かけると、歯が悪かった祖父を思い出しますが、これが本場の食べ方のようです。

さて、写真のビスコッティは、モントリオールのカフェでよく見かけるビスコッティ。イタリア人女性が作る、ナッツとチョコがゴロゴロ入ったビスコッティです。コーヒーによく合って美味しいので、カフェで見かけると、ついついオーダーしてしまいます。

モントリオールには、私のような「ついつい」という人がかなり多くいるはず。 コーヒーは作るけれどお菓子は作らない、というカフェが多いこの街で、卸を中心にしているところが、商売上手です。

「ヘブンリーテイスト」という名を冠しているこのビスコッティ。天国に昇るような美味しさということですが、イタリアでは美味しいものを表現するとき「天に昇る」と言うのでしょうか。ティラミスもイタリア語でそんな意味ですし。

日本では、美味しいものを食べたとき「ほっぺが落ちる」 と言いますが、最近すっかり使わなくなったような。かわりに「ヤバい」と言ったりしているのを聞くと、複雑な気持ちになります。プラスのことはプラスの表現を使ったほうが格好いいと、昭和な私は思います。

 

山登り1
これといって継続しているスポーツはないのですが、歩くことやハイキングは好きです。
ハイキングは、山頂に登った時の達成感や景色はもちろんですが、険しい山を登る場合は別として、その過程が楽しいと感じます。緩やかな道を登りながらの、とりとめのないおしゃべり。緑も目に心地よく、空気もおいしい。

モントリオールから西に32キロのところに位置する、日帰り登山にちょうど良い、モン・サン・ティレール。(Mont-St-Hilaire)
この日は、ゆっくりとブランチを食べてからモントリオールを出発し、登り始めたのは午後3時過ぎ。それでも昼間の長い夏なら充分楽しめます。

何の下調べもなく行ったのですが、山頂からの景色は想像以上にすばらしいものでした。

お弁当を持ってきて、ここで食べたら最高!とは思いますが、トラベル・リーン(travel lean)つまり、身軽に動くことを優先している旦那の教えで、いつも荷物は最小限、お弁当なんてもってのほかです。この日も、荷物はカメラとタオルだけ。

さて、下調べしなかったかわりに、後からモン・サン・ティレールについて調べてみると、、
平地から隆起してできたこの山は、ケベックで最も古い落葉樹の森があるということで、ユネスコの生物圏保護区に指定されています。絶滅危機にある植物や動物(ほ乳類、鳥類、爬虫類、両生類)が生息している貴重な場所だとか。そういえば、モントリオールの公園で見かける「リス」とは違う「シマリス」がいました。
シマリス
そうだとわかっていたら、細部を探してばかりでおしゃべりもせず、全体を楽しめなかったかも。知識があるのも良し悪し。まさに「木を見て森を見ず」にならないことが、こんな気軽なハイキングを楽しむコツなのかも知れません。
山登り2

 
 

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モントリオーラーはテラス好き。ほとんどの家やマンションにもテラスがある位ですから、レストランやカフェにテラスは必須。今の季節、どこのお店もテラス席から埋まっていきます。

夏には日傘が一般的な日本とは随分違い、皆太陽を思いっきり浴びています。

テラスで会話を楽しむカップル、ブランチを楽しむ友達同士、ひとりで読書をする人。色んなシーンがありますが、共通しているのは、みんな楽しそうなこと。
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お店も一個人も同じです。

楽しそうにしているところに人は集まります。


 

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1996年、日本に上陸したスタバ。
実は私、スタバでのバイト経験があります。今思えば、「超」がつくほど忙しいお店で、バリバリ働く「スタバ大好き」なスタッフたちの中、レジの前にできる行列にビビってしまうような冴えないスタッフでした。ミルクを温めてラテを作るという「花形」ポジションまではほど遠く、唯一力を発揮できたのは、営業後の掃除。 これだけは手際が良いと店長に褒められていました。

そんなほろ苦い思い出のあるスタバですが、お客としても随分お世話になっています。

人と会うとき、人を待つとき、待たせるとき。

特に海外では、スタバを見つけるとホッとします。「はずれ」がなく、この3つのことが、とりあえず安心してできるからです。

写真は、ヒューストン郊外にあるスタバ。慣れない地では特にそのありがたさが増し、短期間ですがほぼ毎日通っていました。

オーダーの時に名前を聞かれ、ドリンクができるとその名前で呼ばれるのですが、一度として正しく呼ばれたことはありません。たいがい「トミー」と呼ばれます。日本人は英語が聴き取れない、話せないとよく言われますが、逆も然り。心の中でそう思いながら、トミーになってドリンクを受け取ります。
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ペストリー類は充実しています。でも、モントリオールのスタバの方が、種類は絞られていますが味は勝ちかな。

サービスがすばらしいわけでも味がとびきり良いわけでもないのに通ってしまうスタバ。絶対的な「安心感」の底力、恐るべし、です。

ちなみに、旦那も新しい地に行くと、まず探すのはスタバとトレーニングジム。スタバではカプチーノグランデとシナモンロール2個をオーダーし、得たカロリーをジムで消費しています。スタバもジムも本人も、win-win-winの関係ですから、良いのかも知れませんが。だったらシナモンロールを1個にしておけばいいのに、と思いつつ、経済活性化の一端を担っているのだと、私は冷静に傍観しております。 
 

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リトルイタリーにある『カフェ・イタリア』
 カウンター席のほか、奥にはテーブル席があり、スポーツが観られるTVとサッカーゲームがあります。 

モントリオールのグルメな友人に「コーヒーが美味しい」と最初に教えてもらったのがここ。ある日、日本との行き来で空港に向かう車の中で教えてもらい、そのまま立ち寄り、ラテをテイクアウトしました。早朝のラテ、その美味しかったこと!

メニューはシンプル、男性バリスタがひたすらエスプレッソマシンに向かい、ラテアートは無し。同じイタリア系カフェ、オリンピコに通じるものがあります。オリンピコと違うのは、サンドイッチメニューがあること。ハムをたっぷり挟んだ大胆なサンドイッチは、さすがラテン系、これぞイタリアのカフェ、というルックスと美味しさです。

ここのサンドイッチをベンチマークして、自分のカフェでもイタリアンサンドを出していました。パンも自家製。仕事となると、チャバタやフォカッチャも作れるようになるのは、実はすごいこと。仕事こそ一番の学びの場だとつくづく思います。

写真は3つにカットしてもらったもの。本来は、2つにカットです。粋じゃないな、ちょっと後悔。
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cafe italia

朝6時から開いてます
 Caffe Italia

 

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欧米の学校は、9月スタート。6月から長い夏休みが始まって今まさに夏休み真っ最中。

カフェの常連大学生達も、夏休みは色んなところへ出かけていました。
明日からバックパックでアジアを廻る、医療ボランティアでアフリカへ行く等々、そのスケールも大きければ目的もハッキリしています。しばらくお店に来なくなるのをあらかじめ伝えてくれるので、「あのお客さん、最近来ないなあ」などと理由をネガティブに考えずにいられました。気の利いた学生さんが多かったと、今になって思います。

さて、夏休みというと、蘇るのは自分が小学生だった頃の思い出です。しかも、どこかに旅行した、というイベント的なことよりも、一番に思い出すのは夏休みのルーティーン。

毎朝町内会のラジオ体操に参加してスタンプをもらう、そのあと朝ごはん、玄関を掃くというお手伝いがあって、9時ごろから家の2階の子供部屋できょうだい3人、夏休みの宿題をやります。10時半ごろから、シャッシャッシャ...いつもの音が聞こえてきて、程なくしてその音が止むと、母の呼ぶ声。下に降りると、勉強時間の終わりを告げるカキ氷が用意されているのでした。

カキ氷のシロップは数種類常備されていたので、好きなものをかけて食べます。カキ氷を食べ終わったら遊ぶだけですから、その幸福感と言ったら。。

これが約40日、ほぼ毎日繰り返されていました。
今思えば、机に向かう習慣づけがされたのは、このおかげだったようです。夏休みの宿題は8月第1週を目処に終えていたので、今の自分と同一人物とは思えないほど計画性のある小学生でした。

一方、ひとつ違いの弟は、机に向かっていることが耐えられない性分で、窓から見える鳩の巣作りを眺めたり、鉛筆を削ったり、そんなことばかりでカキ氷までの時間を過ごしていました。

ですから、夏休みもラスト2日なのに、弟は宿題が1割も終えていないことが発覚したことも。
母にしこたま怒られ、最後の2日は外出禁止令。その姿を気の毒に思いつつ、どうして宿題があるのに、あんなに伸び伸びと遊べたんだろう?と不思議に思った記憶があります。

そんな弟、これまた同一人物とは思えないほど今では計画性のある人生を送っています。趣味の釣りを極め、今度は全国大会に出場するとか。そのための合宿をしたりして、準備に余念がありません。

こんな子に育ってほしいと思っても、なかなか思い通りにはいかないと聞きます。母が、どんな想いを抱いて子育てをしていたか、聞いたことはありませんが、この夏休みのルーティーンは、私たちの中に大切な「何か」を植え付けてくれたように思います。

地道は最強!

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カナダ最大の都市、トロント。近代的なビルが建ち並ぶ大都会です。

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1827年創立、歴史のあるカナダ屈指の名門、トロント大学。

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おしゃれなカフェも充実していて、

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カフェのショーケースには、ショートブレッド。

英国の香りを随所で感じる街。同じカナダにあっても、モントリオールとは違う趣があります。
英仏の争いは遠い過去の話ですが、それでも今だに、トロントとモントリオールは妙なライバル意識があるような。

特にNHL(ナショナル・ホッケー・リーグ)で、カナディアンズ(モントリオールのチーム)とメープル・リーフス(トロントのチーム)の対戦は、両市がエキサイトメントに包まれます。巨人阪神戦、はたまた早慶戦を都市レベルで行っているようなものでしょうか?

私はアイスホッケーに詳しくありませんし、どちらが勝っても良いというのが根底にはあるのですが、やはりTVで放送されているのを観ると、モントリオール・カナディアンズを応援したくなります。モントリオールへの帰属意識がジワジワと芽生えているようです。

「住めば都」とは、言い得て妙。新しい街に暮らすときのモットーにしています。

トロントも住みやすそうな良い街でした。英語でこと足りますし。縁があれば自分の「都」になるかも知れません。


おしゃれなカフェ
Cafe Balzac

 

お客さん
モントリオールで営業していたカフェと道路を挟んですぐのアパートに住むメキシコ出身男子。

パソコンを持ち込み、仕事をしたり勉強したりするお客さんが多い中、彼はいつも何か動画を見ている様子。パソコンで何をしているのか、画面は見えませんし(見るつもりもありませんが)、聞いたわけでもないのですが、何だか楽しそうな、その背中。メキシコ出身だからサッカーの試合でも見ているのか、自称ミュージシャンだから音楽のビデオを見ているのか、と、勝手に想像を働かせておりました。

ある日、いつものようにヘッドホンをして動画を見ている(と勝手に決めている)彼に、オーダーのコーヒーを持って行き、邪魔にならないよう、そっとテーブルに置こうとしたその瞬間。

ワッハハハハ!

すごい勢いの笑い。何?何なの?驚く私に、パソコンの向きを変え、画面を見せてくれた彼。そこには、見慣れた人々が。日本のお笑い芸人さんたちの、体を張ったパフォーマンス。

彼が熱く語ってくれました、番組名は『ガキノツカイヤアラヘンデ』。そして、ミスター・ハマダがいかに面白いか。言葉が通じなくても笑いは共通。言語を超えて感情に訴えるものには力があると、自分の中で結論づけました。

たべものも同じです。おいしい、という感覚は、説得されて出てくるものではなく、自然と感じるもの。その土地の人がおいしいと感じるものを提供できれば、どこででも商売できそうです。

 

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アラブ系スーパーの一角。ずらっと並んでいるのは『バクラバ』という中東のお菓子です。

フィロと呼ばれる極々薄い生地で作ったパイ生地に、ピスタチオやアーモンドなどのナッツを挟み、焼き上げてからシロップをかけた、甘い、甘い、甘〜いお菓子です。

初めて食べたときは、その甘さが衝撃的でしたが、コーヒーにもお茶にも合うこのお菓子にハマり、スーパーで見かけるとついつい購入。バクラバ専門店にも足を運ぶようになりました。レシピを探し、日本でバクラバのお店をやろうか、などと妄想したことも。

時間を気にせず、ゆっくりおしゃべりしながらつまむのが、私にとっては、このお菓子の食べ方の理想です。ターキッシュコーヒーかミントティーをすすりながら。

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モントリオールの、特にプラトー地区でよく見かけるこの看板。その先を覗くと、小さな世界が広がっています。
ルエル

『ルエル』日本語で小道のことです。表通りの喧騒とは別世界の、ゆったりした時間が流れている裏通り。緑が植えられ、それぞれの家の個性溢れる小宇宙が広がっています。

昔は、こんなに手入れをされたルエルは少なく、いわゆる路地裏。車も入ってこないから安全で、子どもたちのかっこうの遊び場でした。夏はかくれんぼにおにごっこ、冬は凍った地面でホッケーをして遊んでいたそう。こんな路地裏でアイスホッケーとは。さすが、カナダの国技です。

私も子どもだったら、かくれんぼは勿論、妖精探しに夢中になったでしょう。大人になった今、バーチャルでモンスターを探すことには興味がありませんが、本当に妖精がいそうな世界にワクワクします。

今でも子どもたちを見かけますが、カナダも大家族時代を終え、ルエルで遊ぶ子どもも少なくなりました。

モントリオールでは、カフェ巡りも良いですが、晴れた日はルエル巡りを。

スマホ片手に出かけましょう。モンスターを探すためではなく、絵になる光景を写真に納めるために。
 

PEI灯台1
私、45歳で結婚しました。初婚です。

「まさか、あなたが結婚するとは思わなかった」
両親をはじめ、親戚、友人、みんなが口を揃えてこう言いました。はい、私もまさかと思っていましたもの。

でも、このことがわかっていた人がただ1人、おりました。たいやき屋のツワモノです。

出会ってから15年以上、公私にわたり何でも話していたので、私以上に私の性格や状況を把握していた彼。こうすればこうなるよ、と、いとも簡単にアドバイスをくれるのですが、それがその通りになるから、私はいつも不思議でなりませんでした。

モントリオールでお店を営業していたある日、ツワモノが言いました。D(今の旦那)がそろそろ私に会いに来る、と。その頃、知り合いではありましたが、少し距離を置いていたDと私。何の根拠があってそんなことを言うのかと不思議に思いましたが、何とその日の営業後、Dがお店にやって来ました。

私はこの時ばかりは、彼の超能力を疑ったほど。
どうしてわかるのか、と尋ねると、Dの性格を考えればわかること、と軽く言ってのけました。実際、結婚したのは、この日からちょうど4年後。その間も、Dと結婚するとは思っていませんでしたし、どうしたら運命の人に出会えるかという焦りや、このままひとりだったらという不安を、ことあるごとに彼に吐露してきました。

「ひとりでも楽しい、ふたりならもっと楽しい」

こんなシンプルなことが、やっと自分の感覚としてわかってきた頃、再びDと会うようになり、結婚を決めました。決まってからはトントン拍子。今思えば、「ひとりでも楽しい」と思えるようになったことが、結婚の『きっかけ』だったのだと思います。

灯台もと暗し

私の結婚の場合、そこにしっくりくる人がおりました。
同じく、たいやき屋のツワモノも、灯台もと暗し。実は一番すごい人が一番身近にいたようです。「ひとりでも楽しい」と本当に思えるようにしてくれたのは、間違いなく彼。彼によって、物事の捉え方や考え方も変わり、色んなことがうまくいくようになりました。結婚は、その副産物です。

私の人生は、彼の『プロデュース力』によって大きく変わりました。

自分の人生、自分で決める?
いえいえ、人生、誰と何を話したかで決まります。

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ロジャースカップ3
毎年夏にカナダで開催されるロジャースカップ。全米オープンの前哨戦、男子はATP1000に規格されているテニスの大会です。男子がモントリオールの年は女子はトロント、といった具合に、2都市で男女交互に行われています。

2013年、モントリオールで開催された男子トーナメント戦。当日チケットを買えば、好きな試合が好きなだけ観戦でき、選手たちの練習風景も間近で見られます。試合中の静寂、競技の美しさ、会場でしか感じられない雰囲気、一球一球が一期一会のような緊張感に、すっかりテニス観戦に魅了されてしまいました。

錦織選手の試合を全て観戦しましたが、さすが、日本人の少ないモントリオール。試合会場は、空席の方が多く、「錦織くん、がんばってー」という声援が、やたら響き渡り、言っておきながら恥ずかしいほど。

当時の錦織選手は世界ランキング11位、残念ながら3回戦でフランスのガスケ選手に敗退し、コートを去る背中に、テレビには映らない、計り知れない厳しい世界を見た気がしました。
ロジャースカップ2
その後の錦織選手の躍進ぶりは、みなさんご存知の通りです。
カナダの地で、是非タイトルを!
今年は男子がトロント。もうすぐ始まります。 

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ノバスコシア州の東部に位置するケープ・ブルトン島は、スコットランド人が多く移住し、現在もその伝統が色濃く残る島です。周りを海に囲まれ、断崖や砂浜、山には緑と四方八方に大胆な景色が広がるこの島は、ドライブに最適。道の状態は日本ほど整っていませんが、景色は最高です。実際、日本の自動車CM撮影が行われることもあるそう。

ドライブ中に、鉄橋から海にダイブしている、こんな風景に出会いました。今の日本では、危ないから、とお咎めを受けそうな彼らですが、私も昔は同じようなことをしておりました。与えられた環境の中での最大限の楽しみ方を模索するのは、日本もカナダも変わらないというのは面白い。こんなところで懐かしい風景に出会うとは。
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ドライブ中、目にするたびに食べたくなってしまうのがアイスクリーム。"What's The Scoop" の看板に惹かれ、車を停めました。
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盛りが良いのが嬉しいです。カナダのアイスクリームは、必ず期待を超える量を盛ってくれます。たったそれだけで、ただの仕入れたアイスクリームが特別おいしく感じたりするのですから、盛った時点で勝負あり!です。
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PEIじゃがいも畑
プリンスエドワード島は、赤土の島。この色は、土に含まれる鉄分によるもので、これが肥沃な土壌をつくっています。この豊かな大地から生まれるのが、島の名産、じゃがいもです。

たかがじゃがいも、されどじゃがいも。じゃがいもが美味しいから、フライドポテトもマッシュポテトもとびっきり美味しい。日本で好んではフライドポテトを食べない私ですが、カナダではその美味しさに、付け合わせのポテトが毎回楽しみです。ここ、プリンスエドワード島のポテトはまた格別。

こちら、脇役のマッシュポテトが主役級に美味しいです。スペアリブとエビも絶品ですが、ポテトは間違いなく助演男優賞。
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海岸も赤いです。
赤土の島ということは『赤毛のアン』の中にも登場しますが、それを意識して『Anne of Green Gables』に『赤毛のアン』と邦題をつけたとしたら、村岡さん、すごいです。
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島へのかけ橋、コンフェデレーションブリッジができて、島の自然が失われるのではないかという心配の声があったようですが、そこには自然はそのまま。昔から変わらないであろう風景が、広がっています。

海藻を採る方法も昔ながら。
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ロブスター漁も昔ながら。
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いちご狩りは、野で摘みます。味も、昔ながら。甘酸っぱくて、小さいのに力強い味がします。
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教会は、昔から変わらず、人々の生活に寄り添っています。
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灯台も、昔から変わらず、今日も海を見守り続けています。
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 おすすめ

The Great George(シャーロットタウンで宿泊)
http://thegreatgeorge.com/ 

Sim's Corner(シャーロットタウンで食事)
http://simscorner.ca/ 

Kindred Spirits Country Inn(キャベンディッシュで宿泊)
http://www.kindredspirits.c

『赤毛のアン』を生んだ地、プリンスエドワード島。

この島へのアクセスは、空路、陸路、航路の3つです。どの方法でもワクワクしますが、今回、この橋を渡りたくて、陸路(車)にしました。

島へのかけ橋、コンフェデレーションブリッジ。1997年に開通した全長12.9kmのこの橋は、瀬戸大橋とほぼ同じ長さです。冬は海面が氷るため、航路が機能しなくなる中で、橋の開通は島の長年の悲願だったそう。

さあ、島へのプロローグは10分ほど。さっきまで降っていた雨も止んで、虹が迎えてくれました。
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ルーネンバーグ 小屋
ハリファックスから南西に100km、色とりどりの家が建ち並ぶ街ルーネンバーグ。

海に面したこの街は、かつては漁業や造船業で栄えた港町。その昔、大英帝国が築いた北米植民地の特色を今に残していることから、世界遺産に指定され、現在は観光が主な産業です。

一日あれば街歩きを充分に楽しめる、こじんまりとした街ですが、たくさんの発見と歴史を守る人々の誇りを感じ、暮らしてみたい衝動に駆られました。

この街並みと家々の佇まいは、ともすると「かわいい」を連発したくなるところですが、「かわいい」とはちょっと違う気がします。どうして日本人は何でもかんでも「かわいい」と言うんだ?とカナダ人から皮肉まじりに指摘されたことが頭をよぎり、もっと違う形容詞があるはず、と考えながら、歩きました。

カラフルに彩られた家々は、その昔、船用の余ったペンキを塗ったことから始まったとか。
空を見上げれば、色んな魚が。まるで空を泳いでいるみたいです。

ひとことで形容する必要ないじゃない。そんな気にもなってきましたが。

鮮やかな街、ルーネンバーグ。

空気や風、空や海の清々しさ、匂いも一緒に感じて、そんなことばがしっくりきました。歴史があるのにこんなにも鮮やかでフレッシュな街は、あるようで無いのかも知れません。写真で見た時の、カラフル、かわいいという印象も、実際に見て感じると違ってきます。

だから旅はおもしろい。
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ハリファックス
モントリオールを19時に出発してから22時間。1346kmの旅は、車窓を絶え間なく移り変わる風景と3回の食事に、飽きることなく無事終点ハリファクスに到着しました。

ちなみに運賃は片道約CA$250。繁忙期前でしたので、随分お得なディスカウント価格で購入できました。たまたま買えたらラッキーです。定価はCA$600以上ですので。

さて、ノバスコシア州の州都、ハリファクス。海に面したこの街に到着した瞬間、潮の匂いに懐かしさがこみ上げました。故郷に戻って来たような。海があると落ち着くのは、幼い頃から染み付いた感覚なのですが、どこの海でも同じように感じるのは、海がつながっている故なのかも知れません。

ハリファクスから見える海は、ヨーロッパにもインドにも、そして日本にもつながっています。今から100年以上前、豪華客船タイタニック号の海難事故が起こったのが、ここから1130km離れた海の上。惨事の後、救助の拠点となったハリファクスには、現在も多くの犠牲者が眠っています。また、大西洋海洋博物館には、タイタニック号ゆかりの品が数多く展示されていて一見の価値ありです。

タイタニック号は1997年の映画『タイタニック』でその名が広がりましたが、私にとってのタイタニックは、『ニューホライズン』中3の時の英語の教科書です。
「新しい地平線」という希望に満ちあふれた名前の教科書と、その中の悲劇の物語があまりにも対照的だと思ったのを覚えています。今思えば、かわいくない中学生でした。

タイタニック1

タイタニックの食事メニュー
タイタニック3

タイタニック号で使用されていた食器
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列車朝食
寝台列車の食堂車で朝食を待つひととき。

幸せです。

列車朝
 

列車
モントリオールから旅に出ました。東カナダをめぐる旅。

ハリファックスまではVIA鉄道の寝台列車。1泊3食付き、列車の旅です。
ブルートレインに憧れて、列車の通過時間になると、きょうだいで線路脇まで見に行った子どもの頃が懐かしい。乗るのは初めての寝台列車。

飛行機でサクッと行くのも良いけれど、寝台列車は何倍も旅の気分を盛り上げてくれます。さあ、ワクワク最高潮で出発です。 

モントリオールの母なる川、サンローラン。大西洋から五大湖へ続くこの川は、かつてカナダの発展に大きく貢献しました。

カナダ東岸から西部へ開拓が進められた時代。当時の交通の要であった水路の発展が、その後の国の発展を決定づけたと言っても過言ではありません。水路の発達においてハドソン川(ニューヨーク〜五大湖間のエリー運河)に遅れをとったサンローラン川。これが、モントリオールの西部への通商がニューヨークに負けた理由だと言われている程ですから。

ちょっとカナダ贔屓ではありますが、サンローラン川の水路がもっと早くに発展していたら、世界経済の中心はモントリオールだったかも知れません。

サンローラン川が水路に適さなかったのは、ここ。この急流のせいです。
波
年間を通して波立つスポット、夏はサーフィンやカヤック、急流下りが楽しめます。特にサーフィンは、いつでも波があるので、ボードの上にうつぶせになって波を待つ必要がありません。

かつては水路の建設、更には国の発展を邪魔した波も、現在はこんなアクティビティに使わているのです。

そして、こんな使われ方も。
波を眺める
波を眺める。。20年後の理想です。
 


水やり
初夏を迎えたモントリオールの街角。

冬の除雪作業だけでなく、夏はこうした樹木への「水やり」、公園の整備、年間を通してのゴミ収集など、モントリオールで暮らしていると、市のサポートをあちこちで見かけます。普段は意識していませんが、改めて考えると、結構恩恵を受けていますし、その作業風景も大胆でプロフェッショナル。見ていて楽しかったりします。

ケベック州の消費税は、カナダの国税と合わせて約15%
日本の消費税率アップが先送りになり、物議をかもしていましたが、カナダの税金は、毎年のようにじわりじわりと上がっていきます。家賃や物価も毎年じわりじわり。経済は発展していくもの、という前提ありきですから、皆、当然と思っています。それに、リターンもそれなりに感じられ、街でも市民のための業務を目にするのですから、まあ良しと思えます。

そして、税率の上昇を維持しているのが、公務員の多さ。これが文句の出ない一番の理由だと思うのですが。実際、公務員の友人達は、モントリオールの福祉の充実を大絶賛しますし。

そこまで絶賛するほどでもないとは思いますが、モントリオール暮らしでありがたいのは、ゴミ収集。ベッドでもソファでも、収集日に道路に出しておけば、サクッと持って行ってくれます。もちろん無料で。

さて、ゴミ収集車が一番忙しいのは、7月1日。カナダの建国記念日で、何故かこの日に皆が引越しをするという、ムービング・デーだからです。とにかくこの時は道路が家具だらけ、中古家具店が開けそうなほどです。

山積み家具が収集された後のすっきりした道路、いよいよモントリオールも夏本番です。

レモネード2
夏のドリンク、レモネード。

モントリオールの夏は、イベントやお祭りが目白押し。色んな屋台が出ますが、ひときわ鮮やかなレモンの黄色、いや、レモン色に惹かれます。そして、この大胆な作り方。レモンをカットして絞るだけの単純作業も、大量に作っていると、特別なものに見えてきます。

この光景を見ると、夏を実感すると共に、懐かしい曲が頭の中をぐるぐるし始めました。

“冷えたレモネード 白いカフェから 揺れる木漏れ日を見たの...”

松田聖子さんの『レモネードの夏』。当時のレコードB面のカップリングナンバーです。34年も前の曲ですが、まさかモントリオールの屋台の景色で思い出すとは思いませんでした。しかも、ちょっぴり切ない歌詞には全く合致しない、お祭りの屋台で。

間違いないのは、レモネードは夏の飲み物ということでしょうか。太陽をたっぷり浴びて育ったレモンで作るレモネードは、やはり太陽の季節が一番おいしい。

ちなみに、Sunkist の名前の由来は、Sun-kissed(太陽を浴びた)
ネーミングの妙がこの企業の成功に一役買ってると思っていたら、Sunkist はアメリカの『農協』なのだそう。さすが、ビジネス上手です。

レモネード




 

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今日は、少し早めに開店しました。

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